「経営人事改革の視点」 新型コロナウイルスに思うこと(寄稿)

飢餓・戦争・疫病

中国発の新型コロナウイルス感染症(以下「コロナ感染症」)の蔓延で、世界中が不安と混乱に陥っている。

本稿執筆時点でまだ政府による「緊急事態宣言」は出されていないが、感染リスクを感じながら仕事に出たり、あるいは自宅に閉じこもったりすることを余儀なくされている国民のストレスは高まる一方である。

コロナ感染症は世界的大流行を見せている。いわゆるパンデミックだ。

こうした感染症の大流行は、歴史においては繰り返されてきた。人類を苦しめてきた三大厄難は、飢餓と戦争、そしてこうした疫病である。

もっとも有名な疫病は、ペスト菌によってもたらされる黒死病だ。14世紀に始まったこの感染症は、一説によれば10数年を経て世界各地に広がり1億人が亡くなった。

アメリカ大陸やオーストラリア大陸、太平洋の島々では、ヨーロッパ人が15世紀後半に初めて到達して以降、先住民に免疫のない感染症が持ち込まれたため、最大で人口の9割が失われたという。

20世紀に入ってからも感染症は猛威をふるい、スペイン風邪は世界に広まって5千万人以上が死亡したと言われている。

21世紀に入り、SARS、鳥インフルエンザ、エボラ出血熱などが流行したが、幸い世界規模の大流行には至らず、疫病との戦いは人間によってある程度コントロールできるという認識が持たれたはずだ。

しかし現実はそうではなかった。コロナ感染症は、今世紀最初の世界規模での感染症であり、現在のところ終息は見通せない。私たちは後世、世界史の教科書に載る惨事に直面していることは間違いない。

そして、黒死病の際には、世界各地に広がるのに10数年かかった感染速度が、今回はまたたく間のことだった。こうした現象を見ると、皮肉にも「世界はひとつ」が実感されるのである。

 

危機にあって見えてくるもの

人間にしても社会にしても、危機にあるときには普段は見えないものが見えてくる。

第一に、指導者のリーダーシップである。北海道知事はこのコロナ感染症への対処において、自らが前面に立って強い存在感を発揮した。一方、残念ながら愛知県知事からは、これまでのところそうしたものは感じられない。

安倍首相も迷走しているとしか思えない。打ち出される施策もちぐはぐに感じられる。首相の政治手法とは関係なく、単に政権を担うチームが機能していないようにも見え、東日本大震災のときの民主党政権を彷彿させる。誰が対処するにしても手に余る難局ではあるが、疲弊した首相に果たして判断力やチームをまとめ政策を遂行していく力が残されているかどうかが危惧される。

もう一つ見えてくるのは、日本人の国民性だ。基本的にルールは守り、抑制された行動をとる。東日本大震災の際にも、諸外国で起こりがちな略奪などが起きないのはもちろんのこと、被災者が避難所となった体育館で秩序正しくふるまい、ゴミの分別さえルールどおりに行っていたことは外国メディアに驚きをもって報じられた。

日本の政策や公権力の行使は、このように良識をもって善意でふるまう国民を想定したものになっている。事実、大部分の国民は良識をもって善意でふるまう。

戦後制定された憲法の影響もあって、そもそも私権の制限は法的に非常にハードルが高く、抑制的にならざるをえないという事情もあり、コロナ感染症対策についても、不要不急の外出、夜間の外出などの「自粛」を「お願い」するのが基本である。

 

無制限な私権は国民をリスクにさらす

自粛のお願いは、良識をもって善意でふるまう国民であれば相当程度聞いてくれるはずである。しかし全員がそうとは限らないので、外出が「禁止」されている諸外国と「お願い」ベースの日本では、結果は明らかに違ってくる。私権の制限を行えない緩さは、どうしてもほころびとなってあらわれてしまうのである。

以下のような例がマスコミで取り上げられた。

320日、スペインから帰国した日本人女性が成田空港検疫所でウイルス検査を受け、結果が出るまで待機要請を受けていたが、その要請を無視して家族とともに公共交通機関も使って帰宅してしまった。検査結果は陽性だった。

コロナ感染症とは無関係だが、昨年9月には以下のような例も報じられた。

伊丹空港で、折りたたみ式の刃物を持った男が保安検査場に来て、保安員はそれを確認したにもかかわらず、男が「この長さは大丈夫」と説明したところ、なんとそのまま通してしまったのである。もちろんこうした刃物の持ち込みは厳禁であり、その事実がわかったため空港は大混乱した。テロ行為がなかったのは幸いだった。

私権を制限すべき局面で、たじろいでしまってそれが行えなかった例である。検疫所の例では、法的強制力がないので仕方ないとも言えるが,結果として国民を感染リスクにさらすことになり、制度上の欠陥が浮かび上がった。こうしたことも危機にあってはじめて見えてくるのである。

性善説に立つ公権力の行使はフレンドリーで心地よい。しかし感染症罹患やテロのリスクは常に存在する。非善意の人間やテロリストのような悪意をもった人間が国民にもたらすリスクを直視し、国民を守るため私権の制限や公権力行使の強化を行わなければならない段階にあると考えるものである。

 

現実を直視する

海に囲まれた島国日本は、大陸諸国と違い歴史的に他民族の侵入によって蹂躙された経験は第二次大戦を除けばほとんどなく、感染症による被害も大陸諸国に比べればずっと少なかった。加えて戦後の経済的繁栄と平和によって、国民の私権を制限すべき局面も多くはなかったと想像する。

現在の日本での公権力の行使のあり方は、諸外国に比べたらきわめてマイルドであろう。その結果、空港という多数の人命に関わる防御ラインもやすやすと破られてしまう。法制度を含めてディフェンスが甘すぎるのだ。

ヨーロッパでは2015年にパリ同時多発テロが起きたが、それ以降、パリの街角では二人組の兵士がマシンガンを構えて立っている。パリ市民や観光客は構えられたマシンガンという防御ラインの前を歩くのである。これがヨーロッパ中心都市のリアルな姿だ。

平和を前提とする制度では、危機にあってもひたすら国民にお願いすることしかできない。ほとんどの国は、緊急事態に至ったときに、私権の制限を含めた特別な対応を可能とする仕組みを持っている。残念ながら日本にそれはない。

そこに切り込むとなると、憲法改正が必要となるはずなので非常に難しいだろう。せめて、今回の危機の間に制度改革が行える部分は、やり切ってしまうべきだ。

例えば、医師会の慎重姿勢もあって、一部の診察に限定されているオンライン遠隔地診療の対象を大幅に広げることなども重要な課題の一つだ。限られたリソースを最大限活かす仕組みとして非常に有効なはずで、もちろんマイナス面はあるだろうが、プラス面がはるかに大きいのではないか。

オンライン学習の基盤も整備し、教育の内容と方法の幅を広げるべきだ。

こうした重要な課題がある一方で、白マスク以外の着用を認めないというルールを作った学校に批判が殺到した。学校の馬鹿げた規制はゴマンとあるが、こうした危機だからこそ、このようなルールを作ることの愚かしさを恥じてほしい。

日本では、制度改革や規制緩和の速度があまりにも遅く、必要な改革が進んでいない。今回のコロナ感染症の蔓延により、そうした改革を加速できる可能性がある。

この厄難を単なるダメージで終わらせるのか、それとも社会の変革のきっかけとするかは国民の歴史的な選択である。前者であってはあまりに残念だ。

株式会社ビジネスリンク 代表取締役 西川幸孝

 注)本稿は、2020410日付「東愛知新聞~発言~」に掲載されたコラムの元原稿です。漢字表記等実際の掲載内容と一部異なる部分があります。