「経営人事改革の視点」 新型コロナ、日本社会を変える契機に(寄稿)

10万円給付申請とマイナンバーカード

新型コロナウイルスの感染が広がり、世界は当分この影響から抜け出せそうにない。しかし、各国は必死で経済の再開を模索している。経済停止状態がこれ以上続くと、社会は再生困難なほどのダメージを受けてしまうからだ。

そうした中、110万円を給付する「特別定額給付金」のオンライン申請の受け付けが、51日から約4割の市町村で始まった。マイナンバーカードを持った人(全体の約15%)が対象で、そうでない人は郵送を介しての書類による申請になるため、1カ月程度は遅れることになる。

オンライン申請の場合でも、日本の場合、個人番号(マイナンバー)と金融機関の口座番号が紐付けられていないので、口座番号の届出に合わせて預金通帳等の画像データを添付ファイルで送る必要がある。

先進諸外国の状況をみると、新型コロナウイルス感染症対策の給付金は個人番号に紐付けられた個人口座にダイレクトで振り込む形が取られ、政策決定から給付までが短時間で行われる。休業、失業に関する給付も同様の仕組みによって実行されている。

 

100%を求める日本人気質

なぜ、マイナンバーと個人の口座番号が紐付いていないのか。

それは、マイナンバーの使用目的が法律で明確に限定されており、口座番号を紐付けることが許されていないからだ。

マイナンバー制度導入に際しては、情報漏洩、プライバシー侵害のリスク等を理由に反対論が湧き上がった。日本弁護士連合会などは導入に強く反対し、ジャーナリズムにおいても根強い反対論があって機能を制限すべきとする論調が強かったように記憶している。

情報漏洩やプライバシー侵害は絶対ないとは言えない。間違いが100%起こらないということはありえず、自分自身にも被害が及ぶ可能性がある。それに対して、メリットの方は抽象的でわかりにくい。

国は制度導入にあたり、マイナンバーの取扱いを厳格にするために、ガイドラインを作成し、民間企業はそれに沿った形で取扱いルールを策定した。その結果、マイナンバーを扱うには記録やその保管、廃棄を含めた厳格な手続きが必要となり、面倒なマイナンバーの取扱いはできる限り避けようということになる。

筆者自身の経験だが、2年ほど前、大手百貨店でクレジットカード付きの会員カードを作成した際に、本人確認書類としてマイナンバーカードを提出したところ、それは取り扱えないとして断られてしまった。「マイナンバーカードには触ることもできない」という雰囲気だった。もちろん、本来マイナンバーカードは身分証明書として使用可能である。

膨大なコストを掛けて始めたマイナンバー制度だが、道具として作成したものが、リスクを避けるあまり重くなりすぎて使い勝手が悪く、国全体として15%の普及という中途半端な状態に留まっているのである。

何か新しい事業や制度を始めようとすると、それに対する反対論が出るのは当然のことだ。新しいことにはリスクがつきものであるし、当然欠点もある。それに対して100%の対策を求めるのは不可能だ。

費用対効果で考えると、あるところまでは費用をかけた分効果は目に見えて大きくなるが、そこを過ぎると、追加費用をかけて生まれる効果がだんだん小さくなっていく。100%の効果を求めようとすると、費用を無限大にしなければならないということになる。

しかし無理とわかっていても、100%の制度を目指します、頑張ってゼロリスクを実現しますという姿勢を取りがちなのが日本のカルチャーで、生真面目な日本人はそれを行うことが自分の義務と考える傾向が強い。ここが問題なのである。

世の中に完璧な仕組みはないので、間違いが起きることを前提として、そのための対策を堂々と立てるのが正しい対処法だ。

 

ゼロリスク志向が足かせとなる

民間企業においても、リスクや欠点を許さないメンタリティが成長を阻害していることが少なくない。しばしば経営者や特定の幹部社員がその役割を果たすのである。部下が何か新しい事業などを提案すると、そのマイナス面に光を当て、それが失敗しないことのエビデンスを徹底して求めてくる。「本当に大丈夫か?」というのである。そもそも新しい取り組みが絶対にうまくいく保証などはなく、失敗しないエビデンスをそろえることなどできないのである。

全体的な判断としてある程度行けるとなった場合でも、それを止める方法がある。「拙速は避けるべき」「慎重に検討すべき」「時期尚早」などの決め台詞を放つのである。

多くの企業は、新しい取り組みを行わなければじり貧の状態にある。ある程度のリスクを取らなければ何も始まらないのに、このような経営者や幹部社員の姿勢に部下も嫌気がさして新しい提案を控えるようになってしまうのである。

100%の達成を求めるメンタリティは、クレーマーやモンスター顧客を生む要因にもなりうる。顧客の苦情に対して、それが相当理不尽なものであったとしても、自分たちにほんの少しでも至らぬところがあれば、非はこちらにあると認めてしまうのである。

関西電力の原発立地がらみの多額金品受領問題や、奈良県大和高田市教育委員会の元幹部たちが、児童の親族から長年にわたってクレームをつけられ、さまざまな名目で合計1億円を超える金額を私的に支払わされていた事件などは、100%の達成を義務と感じるメンタリティにつけこまれたものとも考えられる。

 

ビジョン実現に向けて進むとき

新型コロナウイルス感染症の蔓延によって、社会のさまざまな課題が浮かび上がってきた。

社会のデジタル化の遅れは最も基本的なところだ。マイナンバーと個人口座の紐付けが行われれば、今回の給付金のような特別なものだけでなく、失業給付や傷病手当金などにも活用可能である。また、学校のオンライン学習やオンライン診療のプラットフォームも必要である。

解雇回避のための休業に対する公的支援である雇用調整助成金は、完全に制度疲労を起こしている。複雑きわまりない仕組みで、中小企業が自力で申請しようとすれば間違いなく心が折れる。報道によれば、支給窓口への相談が殺到し、予約制の対面相談が1カ月待ちの地域もあるようだ。

そうした中、9月入学への切り替えを検討する動きが出てきた。現在、全国の学校が休校状態で、勉強の遅れを取り戻すのが困難なためだ。もともと諸外国では9月入学が標準的であり、留学をはじめとする人材の国際交流に関して、4月入学の日本は不利な状況にあるという問題意識があった。

これに対しても、さまざまな反対意見が出されている。個別具体的な理由によるものに加え、コロナで大変なときに取り組むべきでない、大事な問題だからじっくりと時間をかけて検討すべきなどという典型的な反対意見がある。しかし確実に言えるのは、この機会を逃したら未来永劫実現は難しいということである。

メリット・デメリットの議論だけでは実施の決定に至らないだろう。この時期に行うことのリスクやデメリットはいくらでも具体的に挙げられるからである。それに対してメリットはどちらかといえば抽象的、理念的なものである。

しかし今必要なのは、将来への希望であり、「入学時期をグローバルスタンダードに合わせて人材の国際化を進め世界に貢献する」といったビジョンである。

ビジョン実現のための前向きな取り組みは、国民の潜在的な活力を呼び覚まし、想定外の好循環を引き起こす可能性がある。閉塞感に満ちた日本社会を変えるきっかけになりうる9月入学の決定に期待するものである。

株式会社ビジネスリンク 代表取締役 西川幸孝

 注)本稿は、2020510日付「東愛知新聞~発言~」に掲載されたコラムの元原稿です。漢字表記等実際の掲載内容と一部異なる部分があります。